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エッセイ10

 あの世とこの世の境界を生きる
                  水野るり子



〔九七〕飯豊(いひで)の菊池松之丞という人傷寒を病み、度々息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎいかんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛上がり、凡そ人の頭ほどの所を次第に前下りに行き、又少し力を入るれば昇ること始めの如し。何とも云われず快し。
 この松之丞という人は傷寒(腸チフス)にかかり、死にかけたとき、肉体を離れ、魂だけになって、菩提寺のキセイ院(喜清院)へと向かう。普通に歩くのではなく意志の力で、足に力を入れて飛び上がり、飛び上がりして空中を飛んで行ったようだ。(私もこのような飛行の夢を見たことがあるが、目が覚めたとき疲労困憊状態だった。無意識をフル稼働するということは大変なことらしい)。寺の門に近づくに人群集せり。何故ならんと訝りつヽ門を入れば、紅の芥子の花咲満ち、見渡す限も知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡くなりし父立てり。お前も来たのかと云う。これに何か返事をしながら猶行くに、以前失ひたる男の子居りて、トッチャお前も来たかという。お前はここに居たのかと言ひつヽ近よらんとすれば、今来てはいけないと云ふ。
 境内には芥子の花が満開で、そこはもう他界のようだ。魂は病んだ肉体を離れてあの世の入り口へとさまよっていったのだろうか。そこには亡き父や息子がいて彼に声をかけ、私たちが夢の中で見る亡き人との再会の場面のような懐かしさがある。しかし死んだ息子は近寄ってはいけないと父を制止する。触れてしまえば死の世界に入るからだろうか。此時門の辺にて騒しく我名を喚ぶ者ありて、うるさきこと限なけれど、拠(よんどころ)なければ心も重くいやいやながら引き返したりと思へば正気付きたり。親族の者寄り集い水など打ちそそぎて喚生かしたるなり。
 門のあたりで自分の名をさかんに呼んでいたのは、耳もとで呼ぶ親族の声だったらしい。こうしてこの人はあの世への道から引きもどされた。菩提寺というのはまさしくあの世への入り口でもあった。ただそこには悲壮感はなく、極楽に近い明るいイメージがある。遠野物語には魂の話がよく出てくる。死後に幽霊のように現れるもの、逆に死の前に人々の前に現れるものなど…。人々はそれに気づいて、その人の死が近いことを知る。魂というものや、あの世というところへの、今とは違う感覚がある。次の話など、今の時代から見るとまるでファンタジー作品のようであった。ある日仲間の者と共に吉利吉里より帰るとて、夜深く四十八坂のあたりを通りしに、小川のある所にて一人の女と逢う。見ればわが妻なり。されどもかかる夜中にひとりこの辺に来べき道理なければ、必定化物ならんと思ひ定め、やにはに魚切り包丁を持ちて後の方より差し通したれば、悲しき声を立てて死したり。
 その後の成り行きは仲間に見届けてもらうことして、家に帰ってみると、妻が言うには「恐ろしい夢を見ました。あまりに帰りが遅いので、夢で途中まで見に出たら、山道で何とも知れぬ者に脅されて、命を取られると思い目が覚めました」とのこと。それをきいて、夫が再びさっきの場所に引き返してみると、刺された妻は、連れの者の目の前でみるみる一匹の狐にな
ったという。夢の野山を行くときに、こうした獣の身を雇うことがあるらしい…と書かれている。妻は狐の身を借りて夢の中へ夫を探しに行くのだが、夫はその妻を旅の途上で実際に見かけて刺してしまう。(夢と現実がひとつに重なっている)。しかし刺された妻は無事で、雇われていた狐の方が死んでいる。これは夢と現実が入り組み、差し違えたようなあやしい話である。
 このように遠野物語の中では、人々が日常的に親しく生死に関わっていたように思える。生は絶えず死へと組み込まれ、死は生へと呼び戻される。そこから人々は多くの物語を紡ぎだす。人々は野に生きる自然のものたちのように、その背中はつねに死と接している。生まれ変わりの話も多い。死んでから生まれるまでの期間が短いのは慶事だという。また土葬した墓場に樹木が生えてくれば「墓の主は何処かに生まれ変わったのだ」といわれる。拾遺〔二四五〕
 こういう話に触れていると遠野物語のなかの人々の死生観のようなものが、それとなく伝わってくる気がする。ちょっと前までの日本人には親しい感性だったかもしれない。それは一種の諦念にも通じるようだし、死と生を通底する大きな流れに、自然の一部として身をゆだねているような感性であるかもしれない。自然と共生しているような生き方であれば、個の一回性…というような死生観とはちょっと違うものであろう。
 先年遠野を訪れ、秋の空の下でデンデラ野を歩いた。そこはかつての(姥捨て山)といわれた場所である。人々は六十歳になるとそこに暮らさなければならなかった。ちょっとした細道をひょろひょろ上ると、ススキや雑草の茂った高みがあり、木立の陰にかまどなど炊事の跡も遺っている。古いあずまやもある。振り返ると(呼べば届くほどの)目の下に村落が見える。老人たちはこの丘に寝起きして、口を糊するために、昼は村へ降りて働き、夕べには寝に帰ったのだろうか。想像していた奥山の姥捨てとはあまりに違うこの生と死の接する距離の近さ、そのあっけらかんとしたたたずまいに言葉が出ない。この世の生き死にとは、本来このようなものであるかもしれないとは思いながら。
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